研究計画書のテーマや方法を決定する際に陥りやすい罠のひとつに「比較」があります。
もちろん、比較は研究の基本技法のひとつであり、重要なものです。
しかし、わかりやすい手法であるがゆえに、もっとも安易に飛びつきやすい研究方法でもあります。
以下ではこの問題について、留日学生が論文の計画段階で失敗してしまうパターンを例に説明します。
留学生に多い傾向
留日学生が研究計画書を書く際、よく設定してくるテーマは「母国と日本の比較分析」です。
留学生活を通してもっとも強く感じることは、母国と日本の違いであることは間違いないでしょうし、そこから着想を得るというのは自然なことでしょう。
では、そのまま母国と日本を比較したらどうなるでしょうか?
当然、様々な違いが見えてきます。
国や地域が違えば、政治、経済、文化などの多くの分野で相違があることは珍しくありません。
そして、修士論文で「分析結果として両国にはこのような違いがありました。」という結論を書いて提出してきます。
なぜ比較するのか?
しかし、「なぜ比較する必要があるのか?」と問いかけたときに、明確な答えを出せる人が少ないのが事実です。
つまり、「比較すること」それ自体が目的になってしまっていることが少なくありません。
「比較」というのは、あくまでも研究における手段のひとつです。
先行研究の状況や現在の社会の状態を考えたうえで、意義のある目的や仮説を設定する必要があります。
その目的を達成するために必要であれば、比較分析を採用しましょう。
「先行研究においてAとBの比較研究はない。だから、私はこの研究をする。」
例えば、このような理由を挙げて、研究テーマ設定をしてくる修士課程の学生は多いです。
しかし、先行研究にそのような比較分析がない理由は、そもそもその比較から導き出される結果に特別な意義がないからかもしれません。
(これについては前回の記事を参照のこと)
そうだとすれば、研究計画書の書き手に残された道は、別の研究手法を再検討するか、この比較分析から得られるであろう結果から研究上の意義を見出すことです。
得られる結果の意義を説明しよう
ここまで脅かすようなことを書いてしまいましたが、比較分析は立派な研究手法です。
このような罠に陥らないためには、まず比較によって得られるであろう結論をあらかじめ予想しておきましょう。
そして、それが先行研究や社会の状況に照らして意義のあるものだと説明できれば、ひとつ研究計画の壁を乗り越えたと言えるかもしれません。
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